坂本で生まれ育った 井上幸子さん に子どもの頃の思い出や坂本の様子を伺いました

 

 

子どもの頃の暮らしぶりを教えて下さい
私が子どもの頃は子どもたちはみんな家の手伝いを するのが当たり前でした。
田植え、養蚕、親たちがしている仕事を子どもなが らに一生懸命手伝いました。
その頃坂本には養蚕農家がたくさんあり、蚕が吐き 出して作る繭玉から絹糸を作っていました。
近所の方はその絹糸を使って機を織り、布に仕上げ て紺屋さんで紺色に染め、衣服を作りました。
養蚕で生計を立てていた家は蚕を「お蚕様」と呼ん でいました。
日常に履く藁(わら)草履も家族みん なで作りました。

井上さんも養蚕のお手伝いをされたのですか?
エサの桑の葉をやることぐらいしか出来ませんでしたが、お蚕さんが増えると私の部屋まで占領してザワザワ動く音が聞こえて来るのがちょっとイヤでした。

どんな遊びをしていましたか?
今のようにオモチャなどない時代でしたが、山や川、田んぼ、自然相手に遊びました。
私は10人兄弟の末っ子でしたので、みんなに可愛がってもらい毎日本当に楽しかったです。


井上 幸子 さん
(昭和12年11月21日生)

心に残る思い出は?
坂本橋の近くにまつられていた観音様のお祭りが年に一回行われていました。 
親が当番制で接待をして下さり、おいしいものを食べて子どもたちは皆幸せそうでした。
小野医院の辺りに芝居小屋があり、お芝居、、紙芝居を見に行ったことも楽しい思い出です。

辛い思い出はありますか?
戦争中、上空に戦闘機が飛んで来ることがありました。爆弾投下はなかったのですが怖かったです。
学校からの指示で、田植えが終わった田んぼで毎年害虫を捕まえたことです。本当にイヤでした。

今その時代を振り返ってどんなことを思われますか?
子ども時代は不便なことが多く娯楽が少ない時代でしたが、家族や近所のつながりが強くみんな助け合って暮らしていました。楽しい思い出がたくさんあります。

趣味を教えて下さい
水泳、習字はコロナ禍でお休みしています。習字は40年近く続けました。
ボケ防止にはじめた短歌は十数年続けましたが、先生のご病気でやめました。
ゴルフは主人の影響で50才過ぎにはじめ、週に一度は行っていました。
5年前に主人が亡くなってからは月に一度ほどになりましたが、体が動く限り続けたいです。
今の楽しみは読書です。図書館で借りてきたり、昔の本を出してきて読んでいます。

健康法は?
今はプールに行けませんので毎日散歩をしています。畑の草取りも運動になります。
栄養のあるものを3食きちんと食べて、まわりに迷惑をかけないようこれからも元気に暮らしたいです。


 



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